2008年11月16日日曜日

論語のススメ(3)

最近よくニュースに流れる「イライラしてたからやりました」「誰でもいいから殺したかった」的な青少年による凶悪犯罪。マスメディアによる単なる強調で、昔からあったのかもしれないし、実際は数として戦後直後からは大幅に少年犯罪は減っているのだけれども、凄惨な事件は増えている印象は否めない。

これって何が原因なのかな、と日頃から考えていたけど、『論語』がその答えの一端を示してくれた。次の一節はとても心に残る。
(原文)
有子曰、其為人也孝弟、而好犯上者鮮矣。
不好犯上、而好作乱者、未之有也。
君子務本。本立而道生。
孝弟也者其為仁之本与。

(書き下し文)
有子曰く、其の人と為りや孝弟にして、
上を犯すを好むものは鮮(すく)なし。
上を犯すを好まずして、乱を作すを好むものは、
未だ之れ有らざるなり。
君子は本(もと)を務む。本立ちて道生ず。
孝弟は其れ仁の本為るか。

「孝弟」の「孝」は祖先と父母に対する尊敬や愛、「弟」は「悌」と同じで年長者に対する尊敬と配慮。
「鮮なし」=少なしで、つまり最初の二文は、孝弟を大切にして成長した人で反逆を企てる人は少ないし、反逆を好まないのに犯罪を犯すのを好む人はこれまでにいないということ。
後の三文は、君子(=あるべき人の姿)は仁(思いやり)の本質である孝弟を実践する人だ、ということ。

『論語』は道徳を身につけた人を君子として、全体を通して道徳の大切さを説いている。

いままで道徳を身につける具体的な方法というか手順って、なかなかイメージできなかった。小学校の道徳の授業(今はあるのかな?)だって、ただ単にNHKの道徳の番組を見たり、事例紹介のような教科書を朗読したり。

でも、道徳教育が家庭から始まっていることに、次の一節を読んで気づかされた。
(原文)
子曰、弟子入則孝、出則悌。
謹而信、汎愛衆而親仁。
行有余力、則以学文。

(書き下し文)
子曰く、弟子入りては則ち孝、出でては則ち悌たれ。謹みて信、汎(ひろ)く衆を愛して仁に親(ちか)づけ。行いて余力あらば、則ち以って文を学べ。

「弟子」は、ここでは勉強が必要な若い人の意味。「入則孝、出則悌」は家庭に入っては親を尊敬して愛し、社会に出たときは目上の人を敬いなさいということ。
「謹而信」はパフォーマンスばっかり派手にしないで言ったことと為すことを一致させて人の信用を得ること。
「汎愛衆而親仁」はキリスト教の「隣人を愛せよ」的な、万人に対して愛を以って接しなさいということ。
「行有余力~」で、以上のことが出来てから、余力で学問をしなさいと言っている。

言葉の順序は、習得の順序でもある。
最初に「弟子入則孝」があるのだから、家庭教育で子供が親を尊敬するようにすることが第一歩。尊敬していれば子が親に手を上げる、ひいては殺すなんて可能性は低くなる。
子供にとって家庭の外に出て最初の目上の人は幼稚園や学校の先生じゃなかろうか。「出則悌」は第2段階として目上の人=学校の先生を尊敬するようにしなければいけないのだから、親がまずその手本を見せなければ、子供はマネしないだろう。まぁ、最近は尊敬に値しないどうしようもない先生も増えてるみたいだけど。

また、学問が道徳教育より後まわしになっているのがミソ。
今の教育は、なんでもかんでも小さい頃から勉学を詰め込んで、道徳教育は置き去り。
でもそれじゃあ立派な社会人になりませんよ、って先の一節と合わせて考えるとそう言っているように感じた。



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