2011年12月25日日曜日

今年のGood & New

早いものでもう年の瀬。

仕事のことでネガティブな気持ちから脱せずブログの筆が止まってましたが、少しでも前向きになるために今年のGood(よかったこと) & New(新しいこと)を綴っておこうと思います。

Good
なんといっても家族が増えたことです。
我が家の天使は、ほんと「珠のような」という形容詞がぴったりで毎日帰るのが楽しみになります。
苦労した分だけ、喜びは大きかった。

New
弁理士の勉強をやめました。
仕事が忙しすぎてとても勉強できる環境ではないことと、弁理士の仕事自体に魅力がなくなったことが理由です。
追加的に、大きな法律改正があったのでやめる決心がつきました。
そして、新しいステップに向けて、今度は英語の勉強をし始めました。
とりあえず、TOEICスコア700が目標。


新年がすばらしい年でありますように。

2011年12月4日日曜日

終止符。

来年の弁理士試験受験をやめました。
つまり、弁理士になるのを諦めました。

まだ2年目で諦めるのは早いんじゃないかとも思いますが、受験勉強と家庭と仕事とをすべて両立していく自信がない。
というかそこまでのモチベーションもなくなってしまいました。

なんとも中途半端な結末だけど、受験勉強で得た知識は今の仕事でも充分に活きるものだから無駄ではなかったと思います。


弁理士の道を閉ざすかわりに、これからは今のエンジニアという仕事を補強する何かを探っていこうと考えてます。

2011年11月30日水曜日

仕事と家庭の両立

果たして仕事と家庭の両立ができてる日本のサラリーマンってどんぐらいいるんだろうか?


数字いじりの好きな親会社経営陣よろしく、毎日キャパシティを超えた仕事に追われて、この一年間まともに自分のための時間が作れてない気がする。
平日は奥さんと子供が起きる前に家を出て、帰ってもメシ食ってフロ入るだけ。
子供とまともに接するのは休日のみ。なによりも奥さんと会話を楽しむ時間が少ないのが残念。


効率よく働けば残業は減らせるし、自分に費やす時間が確保できるなんて誰かの妄想だね。
中小企業メーカーじゃ、効率よく働いてできた隙間に仕事を詰め込まれるから一向に残業なんて減りやしない。


だいいち、効率よく働くには優先順位がつけられないと駄目だし、捨てられる仕事がないとダメ。
なのに、優先度高い仕事ばっかで、なおかつ、断ると「仕事を選ぶような働き方するな」ばりの反応をされるし(ノA`)


なによりも自分の場合、通勤時間が長いのがネックだ。
絶対的に仕事にも家庭にも費やせない『死の時間』が一日に4時間近く発生してる。
その分だけ、死の時間が少ない人に比べ家庭の評価が下がる、もしくは会社での評価が下がる。

本音は家庭重視に働きたいところ、そういう働き方をする人間に手厳しい職場環境。
周囲から冷たくされても全く意に介さないタフさは持ち合わせてないから、仕事と家庭のどっちつかずの中途半端な状態が続いてる今日この頃です。

2011年10月15日土曜日

初宮詣・初ドライブ

いわゆる「お宮参り」、初宮詣とも言うそうですね。知りませんでした。

我が家の天使・こたぬき様もすでに誕生から1か月が経ち、お宮参りに行ってきました。
近所の神社ではなく、ほんの少し遠出して結婚式を挙げた赤坂の日枝神社に詣でたのですが、クルマで行くのが便利だったので、こたぬきは初チャイルドシート搭乗とあいなったのでした。

この日に備えてチャイルドシートはクルマにセットしてあったものの、乗せる予行演習はしてなかったので出掛け間際になってベルトの調節方法がわからない!
取説を読み込んでも調節の要点が理解できず、10分ぐらい格闘してもまったくベルトの長さを変えられず(;´Д`)

この日は少し汗ばむ陽気であるうえに、ジャケットを羽織って狭い後部座席で奮闘してたので汗だく。

うちの父に代わってもらったのだけどやっぱりできない。


30分ぐらいかけてやっと、股ベルトの長さは変えられず、肩ベルトの長さを調節するのだと悟り、ようやくと出発できたのでした。

調節が完璧でなく、やや窮屈そうだったものの、クルマが走りだすとこたぬきはすぐに眠ってしまったのでした。
チャイルドシートでのドライブが気に入ってくたようでよかった(´(ェ)`)


神社の写真館での撮影中もずっとごきげんで、フラッシュがパシャパシャ焚かれてるのにむしろカメラ目線になるほどでした。
おかげでナイスショットだらけになり、選ぶのが大変でした。
結局、ベストショットをプリントしたうえで、セカンドベストもデータでもらい(このデータがけっこうな額で…)、合計金額がちょっと腰が引ける額になってしまいました。

祈祷中は僕の腕の中でぐっすり。
楽器が鳴ってもびくともせず、平穏無事に祈祷も終了。



帰りのドライブもチャイルドシートの中で終始眠っていたので、大変楽なお宮参りでした。

2011年9月23日金曜日

二年目、論文合否発表

22日、論文の合否発表がありました。

結果、今年もダメでしたorz


手応え的にもわかってたので改めてガッカリということはなく、今年は本当に勉強できてなかったので当然の結果です。
選択科目の免除資格が得られるかどうかは紙面による通知が来ないとわからないので、せめてそちらだけでもいい結果が出ればよいのだけど…


今年度の論文合格者数は昨年からまた100余人減って、715名。
このところ急激な減少傾向が続いていて、弁理士はことさら狭き門になってきました。
業界的にも出願件数が減っていて、その影響でしょうか。
弁理士になっても職にあぶれるというハナシは本当かもしれません(-公-)。

2011年9月19日月曜日

出産ログ

遅ればせながらの報告ですが、
9月3日早朝、我が家に天使が誕生しました。
22時間半の長い出産になりましたが、そのログをちょっと残しておこうと思います;


9月1日夜、
奥さん自身は予感があったようでいつでも入院できるように早めに夕食・入浴を済ませていたようでした。
22時に僕が帰宅して、いつもどおり床に就きました。

9月2日明け方、
僕が目が覚ますと彼女は下腹部の痛みのためにほとんど眠れてないようでした。
陣痛かどうかわからないけど、痛みが続いているのでとりあえず病院に訊いたら、陣痛かどうかの判断がつかず、1時間後まだ電話するようにとのことでした。

6:00頃、
やっぱり断続的な腹痛が続いていたので病院に電話してみると病院に来るようにとの指示でした。

8:30
通常の診療時間になるのを待って歩いて病院の産科外来に。
すでに子宮口は6cm。即、入院が決まりました。

9:00過ぎ
奥さんは病棟に移動。
僕が入院手続していると奥さんの母親がかけつけてきました。

9:30
陣痛室前で待機していると、看護師さんに呼ばれ陣痛室に案内されました。
そこではすでに出産着に着替えた奥さんがモニタリングされながら寝台に横たわっていたのでした。
陣痛は7~8分間隔で、助産師さんと楽しく会話できるほどの余裕。

お腹の張り具合をモニタリングしていたので、徐々に陣痛がくるのが他人の僕にもわかりました。
ピークが近づいてくると腰をさすってあげる、の繰り返しが数時間つづきました。

午後に入っても陣痛の間隔は4~5分で、あまりお産は進まず。
診察と病棟の案内があるというのでそれを機に僕は一旦帰宅。
朝が早かったのでかなり眠く…小一時間ほど眠ってしまいました。

15:30
陣痛室に戻ると奥さんはスクワットをしてました。
お産を進めるために少し動いたほうがいいというので、病棟を歩きまわったり、陣痛の合間にスクワットを続けるのでした。

17:30
陣痛間隔は3~4分。しかしまだ子宮口は7cm大。
さすがに奥さんは疲れてきた様子。

18:00
夕飯が出るとのことだが、痛みのため食べ物が喉が通らないだろうと思いヴィダーを買いに出るも売店で売り切れ。しかたなくカロリーメイトのゼリーを買って戻りました。

19:30
隣の陣痛室に入っていた妊婦さんの陣痛がピークになってきたようで騒がしくなりました。
こちらは出された食事を一生懸命口に運ぶが、案の定、あまり喉を通らず。

22:00
どうやらお隣さんが分娩室に入った模様。
もう夜勤の助産師さんしかいなく、担当の助産師さんもお隣さんの分娩に入るとのこと。
ちょっと不安になってきたところで、奥さんが陣痛のため夕飯を戻してしまいました。
エチケット袋の用意なんかしてなかったので、ナースコールをして受け皿を持ってきてもらいました。
その間両手で受けてしのごうとしたものの、ベッドが汚れ寝台を移ることに。

23:00
替えの汗ふきタオルを取りに、僕は一時帰宅。
すぐに戻ると、ゲロ騒動のあいだにお隣さんは出産したようで家族が生まれた赤ちゃんと面会していた。
子宮口は8cmまできました。


日付変わって9月3日、午前1:00
さすがに疲れて眠くなり腰をさすりながらもうたた寝。
奥さんのほうも陣痛のたびに寝たり起きたりの繰り返し。
子宮口はやっと9cm。あともうちょっとなんですよ、と助産師さんに励まされました。

午前3:00
相変わらずの状態に、奥さんが「ほんとに出てくるんですかぁーー」と助産師さんに悪態をついたのでした。

午前4:00
分娩台に乗ったほうが赤ちゃんが降りてきやすくなるかもという助産師さんの意見で、子宮口は開ききってないが早めに分娩室に移りました。
この夜は運良く主治医の先生が当直で、立ちあってもらえました。

午前4:20
羊膜に穴を開け、羊水を排出。

午前4:57
女の子が誕生。
フギャーと、第一声。
出てきた赤ちゃんがすぐに産声を上げたのは意外でした。
がんばった奥さんの顔を見て思わず涙が出そうになりました。


すぐに体重と身長計測が行われ、体重2780g、身長49.0cm。
入念に四肢五指が確認され、無事、異常なし。


胎盤排出が終わると赤ちゃんは奥さんのもとに戻され、初授乳。
もうちゃんとおっぱいを吸えるのでした。


旦那の僕としてはここからが辛かった。
出産が終わっても奥さんは2時間は分娩台から降りないため、分娩室と待合室を行ったり来たり。
待合室で横になれないので眠ることも許されず、奥さんが病室に移るまで眠くても家に帰れないのでした。

結局、家に戻ってベットに入ったのは朝の9:00頃でした。

2011年8月31日水曜日

期待と不安

新首相に期待、
というわけではなく、
"子たぬき"が生まれたあとの新生活に期待感が募ってます。

昨日検診を受けたうちの奥さんによれば子たぬきはすでに3200g(推定)まで育っているそう。
子宮口も開き始めたらしく、いよいよ感が強くなってきました。
一方で、出産準備を進めるなかでわからないことがいろいろあって不安も募っていることも確か。
特に父親として心配なのは、ちゃんと育児の時間を確保できるのかということ。
やっぱり遠距離通勤は痛い。
さらにサービス残業を社是とする今の会社が痛い。

奥さんが育休明ける頃までにはまた"新たな決断"が必要かもしれません。

2011年7月29日金曜日

うしろ指さされたっていいさ

久々に退社時の空が明るい(*´∇`)

今日は周りが忙しそうなのを尻目に早く会社を出た。


このところ二つのプロジェクトの板挟みに遭い、死ぬほど忙しかったし、どうせ明日土曜日は出社だし、たまにはいいじゃないかと。

従来携わってきたプロジェクトの自分の担当を引き継いでくれる人がなかなか決まらず、ズルズルと2週間あまり掛け持ち状態で新プロジェクトのほうに本格的に入れないでいたら、マネージャーから「もう設計終っちまうぞ」とどやされ(-_-;)

従来プロジェクトの仕事のボリュームが減るどころか増えそうな勢いだったので、
「もうこれ以上は勘弁してください」
を連発して仕事を整理すれば、そっちのマネージャーからは怨めしい顔をされ(ノA`)

ふと気づくと、両方から冷たくされてた。


俺は悪くないと思うんですけど…
なんか今の状況は腑に落ちないところがあるものの、
ま、仕事減ったし、いいかなぁとも思う今日この頃です。

2011年7月19日火曜日

そういうつもりは毛頭なく

仕事が忙しくてしばらくまともに身体を動かしてないのと、
仕事が全くうまくいってないのと、
それを解決できないイライラとでフラストレーションが溜まってたのでしょうねぇ…


奥さんに自分の不甲斐なさを正され、
苦境から自分を解放したくて、
夜中に家の壁を強く蹴ったり叩いたりしたら壁に穴が開いてしまいました(-_-;

今までそんなことしたことなかったから身重の奥さんはビビってしまい、朝まで近寄ってきませんでした(ノA`)

彼女をビビらすつもりはなかったのですが、とにかくこの鬱屈した状況を打破したくて。


でもおかげでかなりスッキリ。

そう、思いの外爽快感があって、一気にピースフルなメンタルを取り戻せました。

でも手のひらは腫れてアザになっていて、壁を蹴破った踵も今んなって痛い。
こちらも思いの外ダメージがありました。

2011年7月17日日曜日

なんにも上手くいかない

先週留任が決まったはずの今参加している開発プロジェクトのマネージャとこれから始まるプロジェクトのマネージャが人の取り合いになって、結局、自分は後者のほうをやることに。

それはそれで嬉しいんだけども、
先週の一週間で仕掛りの業務は完結させて引き継ぐように、と。

…引き継ぐ先もいないのに?


完結って言ったってなかなかそうは行かない部分だってある。
実際、自分が設計した機構がことごとく上手くいってない。
構想段階でNGくらって、その後ぜんぜんいいアイデアが浮かばなくて放ったらかししてあるのもある。
引き継ぐ予定の業務も後継者が決まらないからもう納期が迫ってきていて、自分でやるハメになってるし…。


あぁ、なんにも上手くいかない( ノД`)ヾ

奥さんのお腹も大きくなってきていて体調の悪い日ぐらいちゃんとケアしてあげたいのに、それすらもままならなくて、なんか自分がダメ人間に思えてきた。

こういうのが続くとウツになるんでしょうか。
それならいっそ、そうなる前に仕事放り出したい!!
…って、そういう無責任さがいかんのでしょうなぁ。


できないものはできない。
そう言い張れる、強い人間に私はなりたい。

2011年7月7日木曜日

ゲンナリだよぅ

プロジェクトリーダーを任される予定だったのに、
今やってるプロジェクトがテンパってきてて、
結局留任になってしまった(;´∩`)


せっかく部下がつくチャンスだったのに…。
これを経験して箔をつけて転職しようとしてた目論見が見事に崩れてゲンナリ。


モチベーション下がるわぁ(_´Д`)ノ~

2011年7月6日水曜日

女の子です!

昨日の検診で子タヌキ(仮)の性別がわかりました!
やっと大人しく見せてくれたようです。
ま、元気に生まれてくれればどっちでもいいんですけど(*´∇`)


写真は彼女の顔です。
だいぶヒトらしくなりました。
ちょっと鼻が高い?

しかし予感的中、名前候補が絞られてないほうだからもうちょっと考えなきゃねぇ(-公-)

2011年7月3日日曜日

気がつけば本試験

論文必須科目の本試験が終わりました。


この数ヵ月仕事に追われて、気がつけば本番。
準備不足は承知で、いまのベストを尽くそうということで、ダメ元で受けてきました。


感触は…
特・実は相変わらずズタボロ(ノA`)
今年はペースが云々というより、わかんねぇー、って感じ。
PCT出願なんて久しく勉強してなかったし、秘密保持命令なんてマニアックなところまでカバーできるほど勉強してない。

意匠は、なんか簡単そうで実は記載量が多くて、ほかの二科目に比べればできた感はあるが合格点にはいってないだろうな、というところ。

もうこの時点で腕がパンパン!

最後の商標はせっかく答案構成はできたのに、やっぱり書ききれなかった。


まあ、結果は火を見るより明らかなので引きずらず、次、次!

2011年6月30日木曜日

性別不明

子タヌキ(仮)はシャイなので、なかなかエコーで股間を見せてくれないよです。
なので、まだ性別不明。


名前は各性別で二つずつぐらいに候補しぼって、あとは生まれてから決定、でしょうか。


男の子の名前は、もう二つに絞りました。
字画を気にしてたけど流派などで言うことが違うし、たまひよの無料名付けサービスもイマイチだったので、最初から気に入ってたヤツと実父(子タヌキのおじいちゃん)の名前から一字もらったヤツとにしちゃいました。


女の子のほうは候補が絞りきれてません。
だいたい4つまではきていると思うのだけど、奥さんと自分とで若干有力候補が違う気がします。
判断材料がないので、これで次回の検診とかで女の子確定だと焦っちゃうなぁ(^_^;

ちょっと限界を超えた

今月は土曜日フル出勤して、この月曜日は徹夜(ノA`)
今日は5時ぐらいからあんまり頭が機能しなくなりました。
毎日12〜13時間ぐらい働いているので、さすがに限界がきたようです。


ほんとに眠くて、眠くて、
眠くて(-ω-)zzz...


20分ほどデスクの上で爆睡。


特許出願の明細書原稿のチェック依頼も1週間以上放置してるし、試作の評価も急がせて納品させたわりに1週間以上手付かず。


もちろん自分だけ忙しいわけではないのだけど、なんか他の人が楽してるように思えてきた。

キャパが小さすぎて仕事を受けきれない人、
要領よく仕事をいなして馬車ウマにはならない人、
デキル新人だが新人ゆえにやれない仕事がある人。

みんなそれぞれそれなりに大変なのだろうけど、隣の芝生が青く見える(;´∩`)

2011年5月30日月曜日

そろそろ名前を

子タヌキ(仮)もはや7か月を迎えます。
G.W.ぐらいからぼちぼち名前の候補をいくつか考えてますが、
有力候補が増えません(;´∩`)

名付けの本を参考にしようと思ったけど、分厚いだけで中身は薄い。
人気の名前からインスピレーションを得ると流行りの名前になっちゃいそう。
グローバルな名前を、ってうちの父親は言うけど、子タヌキが活躍する20〜30年後は英語がグローバルスタンダードじゃないかも。
アラブ圏とか中国とかにも通じる名前って?

まだ性別不明だから両方の路線で考えないと。

女の子だったら、奥さんの名前の一字をもらってつけたいな。
ちょうど字画のいい組合せがあるし。
呼びの響きも大事。
なるべく親類に似た名前がないようにしないと紛らわしい。

男の子だったら…
自分の名前は一字かつ二字以上で使いづらいので、うちの親からもらおうか。
はてまた出雲大社に参詣したあとに大願成就したので、あやかった名前にするか。
最終決定は顔見てからでもいいと思うけど、男女各3つくらいまでは絞っておきたい。
なんか、こう、ビタッーとくるの、ねぇなかなぁ

2011年5月29日日曜日

明日のためのコーチング実践

新卒2年目の後輩社員(めんどくさいから山田くん(仮名)としよう)の教育のためにコーチングを本で学んだわけですが、彼に適用するにはコーチ側もクライアント側もレベルアップが必要…
ということで、まずは1年目の新人(これもめんどくさいから並木くん(仮名)としよう)で自分のコーチング・スキルを磨くことにしました。

なんだか逆なような気がしますが、並木くんのほうが先入観なく接することができるし、ある程度は自分で考えてくれる人なのでティーチングとの使い分けを学ぶうえでも「いい教材」になりそうなのでそうしました。

なんせ、本によればコーチングは「相手が答えを持っていると信じること」から始まるそうで、つまり相手を信頼するところから出発なのですが、どうころんでも今の私には山田くんを信じることは無理(●´I`●)
コーチとして精神修行を積んでレベルアップしてから接することにしました。


さて、さっそく並木くんに今発生しているマシン・トラブルの原因究明と対策を任せることにしました。
ある程度のマシンについての基礎知識(構造や作用)を叩き込んで、まずは「どう原因究明をしていくか」について話し合いました。
「原因として何が考えられるだろう?」とまずは広くきく質問をしました。
彼が原因になってそうな部分を示します。
「具体的にはどこのことを言っているの?」と言葉の本質を明確にする質問をしました。
すると彼はこことこことあそこです、と答えました。


と、ここで自分の中の『コメント虫』が蠢きだしました。
(心の声)「うーーん、そこは無いと思うんだけどなぁ」
(心の声)「ここには着目しなくていいのかなぁ」


気がつけば、並木くんを誘導する質問をして話を進めているのでした。
……コーチング失敗(;´Д`)


相手は新人なので、本の例題にあるような「クライアントがいきなり核心に迫るようなこと」には当然ならないのですが、自分の意見と相違する部分が相手の口から出てきたときにそれを肯定する度量が非常に試されるということがわかりました。
相手がそれによって失敗しようが遠回りしようがそれは相手の経験であって私の範疇ではない、と悟りを開くまでは「聴く」スキルはマスターできなさそうです。

2011年5月15日日曜日

コーチングブーム到来か

院卒くんの指導に行き詰まっていると前回の投稿で吐露しましたが、その後指導法に関する本を読んで自分の指導法はかなりヤバかったことを気づかされました。
自分の見識の無さを反省するとともに、これを機にしっかりと後輩・部下の指導法を身につけて自分の成長につなげたいと思います。

このたび手にとった本は次の2冊でした:

  1. 今すぐ使える!コーチング (播摩早苗著、PHPビジネス新書)
  2. これだけはおさえておきたい仕事の教え方(関根雅泰著、日本能率協会マネジメントセンター)


以前からコーチングという言葉は耳にしていたのでまずはコーチングを学ぼうと思って一冊目のほうを探しているときに、二冊目のほうが目に冒頭を入り立ち読みして、結局両方とも購入しました。


一冊目はコーチングの入門書ですが、実践的な内容になっていてすんなり飲み込めました。
基本を丁寧に説いていて突飛なことは書いてないのですが、これまで聞きかじっていたコーチングのイメージが覆された印象です。
コーチングは「教える」というよりも「導く」ツールで、どうやら新人・若手教育に使うには向いてなさそう。
本書でもコーチングには限界があって、ティーチングと時と場合によって使い分けが必要と説かれています。
院卒くんには「ティーチング」でしっかりと基礎がためをしてから多用することになりそうです。


その「ティーチング」的教育法を解説しているのが二冊目のほうでした。
この本を読んでドキッとしたのは、

説明が下手な人に限って、相手の理解不足に文句を言います。

という下り。
いやはや、やっちゃってますなぁということをズバリ指摘されました。
ほかにも胸にグサグサ刺さる指摘があって、ある意味感動しました。


「ティーチング」と「コーチング」。
この二つのツールの使い分けができればワタクシももう一段高いところにいけそうな気がします。

2011年4月13日水曜日

バカにつける薬はあるのか

新卒入社二年目の社員教育に苦慮してます。
行き詰まってる感さえあります。
彼のことは1年間面倒を看てきたのですが、担当業務が違っていたということもあってあまり丁寧な指導をできていなかったという反省はあります。
しかし、彼には実質的に指導してくれていた上司も先輩もいたので決してほったらかしだったわけではなく、私自身も計画的な指導を施してきました。
ですがその甲斐むなしく、いまだ彼の仕事ぶりたるや小学生レベルです(ちなみに彼は修士号をもっています)。

指導の仕方が悪かったんだといわれれば反論のしようもないのですが、じゃあどうすればいいんだと聞きたい。

最初の半年はあまり頭ごなしに叱ったりはせず、なぜダメ出しされるのかを深く考えさせるように指導しました。
しかし、一向に深く考えるクセはつかず、今ももっと頭使って仕事するよう指導してますが、浅はかなまま。

また、あまりにも日本語がヘタ(一応、ネイティブだけど)なのでまずは文書やメールの書き方から指導しました。
漢字の使い方がメチャクチャだから勉強しろとも忠告しました。
しかし、どうもそういう勉強をやってる素振りも成果も感じられません。

そして、なんと言っても呆れるのが、レポートをいつまで経っても提出しないこと。
あまりに注意しても出さないので上司も「もうエエヮ(怒)」ってなると、とうとう出さず仕舞い。
コイツは本当にエンジニアとしてやっていく気あんのか(`д´)ゴルァァァァァ
レポートの一つも書けないでどうやって修士号取ったのか甚だ疑問。
今ではあまりにもムカつくのでかなり厳しめに当たってしまいます「(´へ`;ウーム

世の中の、人材育成の達人なら彼すらも何とかなるもんなんでしょうか?
何かいい術があれば学びたい今日この頃です。

2011年4月2日土曜日

ひとかげ

10w1dごろの「うちの子」です。
もうすでに人影になってます。
勝手に、胎児は魚→両生類→爬虫類→ネズミ→サル→ヒトのようにお腹の中で進化の過程をおさらいしてくるものだとばっかり思ってました(;´∀`)

これは2月の中旬頃(約1か月半前)だから、今はもっと「ヒト」になってる。
すごいなぁ、早いなぁ。

うちでは「子タヌキ(仮)」とコードネームが付けられました。
リリースは9月中旬予定です。

2011年4月1日金曜日

天使が舞い降りたヾ(*´∀`*)ノ゛

2011年1月14日(金)、記念すべき日。
会社から帰宅して、夕飯前に奥さんから「そこに座って。話があります」と、切り出された。


「赤ちゃんができました」


奥さんは素直に喜びたいんだろうに、僕に一番に直接話そうと、誰にも言わず、夜までずっと耐えていたみたい。
俺に話したとたん、緊張が解けたのか、ほっとしたのか、泣き出しちゃいました。
俺もすごく感動した。
ほんとうに嬉しかった。

赤ん坊が元気に産まれてくるまで油断しちゃいけないんだけど、
いや、無事産まれても成人するまで油断できないんだろうけど、
なんだか諦めムードも漂い始めてたこれまでを考えれば、
貴重な、人生の小さいが大きな一歩だと思う。
ここは素直に喜びたい。


クリスマスにマサムネが死んで、彼(?)の生まれ変わりだろうかw
奥さんは「マサムネが連れてきてくれた」という。
いろいろな神様・仏様にお願いして、現代医学にも頼って、
最後に「シゴト」してくれたのは黒い出目金??

思えば、台湾の占い師に子作りに悩んでいることを見透され、
勧められるままに飼いはじめた黒い金魚。

すげーな、台湾の占い師!
ありがと、マサムネ!!


当然、まだ周囲には言えない。
義母はあからさまに期待してプレッシャーをかけてくるし、うちの両親だって黙って我慢してくれているのだろうけど期待しているに違いない。
何かあっても嫌だけど、大きな期待をしてしまうとその後が辛い。
だから、大いに喜ぶけど静観、静観。


つっても、全然、落ち着かない。
ふっとするといろいろ先のこと、考えちゃう。
あんなに望んでいたのに、まだ覚悟ができてなかったんだな。

中央やや左の黒ポチが我が家の天使
このエントリが無事公開できますように、切に願う1月15日の私です。

2011年3月25日金曜日

一にも二にも英語

なかば転職活動へのトーンも、弁理士資格取得へのトーンすらも下がり気味ですが、2社目のエージェントと面談を行ってきました。

このまえ電話面談したエージェントと違ってやや前向きな話が聞けました。
条件はあまり良いとは言えないものの、未経験者歓迎の募集を実際に何件か紹介してもらえたのです。

ただ、…

やはり英語がネックです。
TOEIC700点以上がすべての事務所さんに共通の要求スペックです。
業務的に、おそらく会話の機会はあまりないと思われるので、読み書き中心、しかも専門用語中心ときたらTOEICよりもTOEFLだろーーーって思いますが、なぜか軒並みTOEIC。
ま、どちらにしろ「壁」には変りないのですが。


普通にビジネスしてても必要だからね、英語力は。
やっぱちょっと英語も勉強しようかなぁ、なんて。
そんな時間あるか。
論文ですら手が回ってないのに。
英字新聞とか、USP・EP中心に明細書を読むようにするとか、それくらいはするか。

2011年3月16日水曜日

てんかつ始めました'11

震災の影響で電車が運休してたり、停電だったり。
会社が通常営業できないのに乗じて、かねてから検討してた特許事務所への転職活動を始めました。

昨年末からエライ忙しくて、ほとんど勉強の時間がとれていないのです。
4月からはもっと責任の重い仕事が回ってくるうえ、人手不足で今までの二倍働かされる勢い。
このままでは勉強はおろか受験もままならないと考え、近いうちの転職を決心しました。

っていうか、決心がなかなかつかないでいたところを奥ちゃんに、
「一時的に無職になってもいい」
と背中を押されたのが正直なところです。


まずは転職エージェントに登録。
知財業界専門のところと他に1社に登録しました。

久々に職務経歴書を手直し。
エージェントが提供してきたサンプルを見るとやっぱり通常の企業に出すものとはだいぶアピールするポイントが異なります。
英語力、緻密さをアピールするように、と言われてもなぁ…

ま、とりあえず自己PRはあとで書き直すとして、まずはエージェントと面談するための叩き台として仕上げました。


そして昨日、夕方から電話面談を行いました。

そのなかで、自分の経歴について話すとともに知財業界の求人動向を聞きました。

節電・停電で暗い市街と同様に、先の明るくない話ばかり;


景気低迷の影響で出願件数が減ってきていて特許事務所も求人が少ない。

資格の有無より経験が重視される傾向にあり、今日の不況下では未経験者採用はほとんどない。

国際出願に対応できるように英語力必須。TOEIC700点は最低ライン。
英語の勉強を一番ガンバってたときですら600点割りこんでんのに(;´∩`)

そしてトドメは年齢の壁、ポテンシャル採用は30〜35歳まで。
今がギリギリだそう。


なんか、一昨年に聞いた感じとはだいぶ違うみたいです。

話を聞いているうちになんだか弁理士目指すのも考え直さなきゃならん感じになってきました。
とりあえず今年の試験は受けるけど…その先、どうする?

2011年3月12日土曜日

群発地震?

突然、ケータイにエリアメール=緊急地震速報があった。
昨日東北・関東で大規模地震があったばかりなのに、今度は新潟・長野北部でも強い地震があったみたい。

なんか原発のあるエリアばっか…こぇぇぇ




っうか、またエリアメール!
日本沈没するのか?

2011年3月11日金曜日

M8.8はすごい

今日が最終日の出張中、午後3時ごろ強い揺れを感じた。
工場にいたんだけど、まず鉄製のシャッターがガタンガタン音を立て始めた。
最初は同僚と「風が強くなり始めたね」なんて言ってたら、そのうち吊り電灯や棚が動き始めた。

これまで体験した地震よりかなり長い時間揺れていた気がする。
一旦ゆれが収まってもまた何度か余震を感じた。

最初はみんな震度や震源地が気になってネットで地震情報をチェック。
震源は宮城、最初の情報は震度6強。
自分たちの所在地周辺は震度3。
自宅のほうが震度5以上になっていて、一気に不安がつのり始めた。

奥さんにメールで安否確認。
そのときは割とすぐに返信が来て、「無事」とだけ確認。
ひとまず安心。


テレビやラジオが近くになくて情報がリアルタイムじゃなかったせいか、実感もなく通常の業務に戻ってると、そのうち情報が更新されて、宮城は震度7に訂正。
それから同僚が「新幹線止まってるらしいよ」と。

あれ?帰れないじゃん()´д`()

あわてて災害情報を集めはじえめると『仙台空港水没』とか『JR全線運転見合わせ』とか。
家の状況とか家族の現状が気になりはじめて電話するも通じず。
ケータイメールもなかなか送れない。
そのうちiモードも使えなくなり、ついにはそれまで電波が3本たってたところが「圏外」にかわった。


焦っても全然ケータイ電波が復活しない。
同じドコモユーザーでも長野の人は普通に通話もiモードも使えてる。
契約エリアの差なのか?


発生から2時間経っても新幹線は復旧の様子なし。
ワンセグでニュースを見ると各地の津波被害や火災の様子。
ワンセグだけに画面が小さすぎてどこの様子なのかわからない。
FMラジオは微妙に首都圏の情報が少なすぎてよくわからない。
AMラジオは情報がざっくりすぎてよくわからない。
ネットはつながりにくくてなかなか情報をアップデートできない。
津波警報がずっと出ていて家の様子が気になってしょうがないのに、5時間近く家族とまったく連絡がとれなかった。

帰るのを諦めて出張先近くに宿泊することに決めて夕飯を食べてると、やっと奥さんからメール;

独りでは不安なので帰宅困難者の同僚女子にうちに泊まってもらって、いまMr. Children のDVD見てます

と。なんかちょっと拍子抜け(●´I`●)


今回、わかったこと;
  • 情報が不足してるとかなり不安になる。
  • 災害伝言板はケータイ契約エリア外の出張先では使えない。
  •  出張先での被災時に使える情報源: ネット>テレビ>>ラジオ>>ケータイ


みなさん、無事ですか?

2011年3月10日木曜日

延泊

1泊2日の予定だった出張。
それが3泊4日に延長。

1日分の服じゃ、さすがに2泊延長はきつい。

昼休みにファッションセンターしまむらで服を買い足す。

長袖Tシャツ×2着
パンツ×2着
くつ下×2足
しめて税込2,120円! 安っっ(´∀`)


でも、延泊はヘコむわぁ

2011年2月14日月曜日

東京は雪に弱い、でしょ

大雪です。

雪国のひとには日常より少なめだと思いますが。


交通機関がマヒする匂いがするので今日は早め退散。
といってももう8時。
すでに残業2時間こなしてました(≧ω≦)


ノーマルタイヤで走ってるクルマが傍を通過していくのがコワイっす。

2011年1月23日日曜日

チキショウメ

試作機の組み立て確認が遅れを取り戻すのに、貴重な勉強時間の土曜日を潰して出勤。
そして、重大な設計ミスが発覚(;´∩`)

リカバリーのために論文答練を蹴って今日もフル出勤。


たしかに俺の担当箇所の問題さ。
でも、仮に注意してたとしてもどのみち起きてた問題じゃん!
与えられてた要求仕様も間違ってたんだもん(`へ´)ナロメェ

なのになんで俺だけ責任取らされんだよぅ


チキショー、早めに出図して週中で休みとってやる!!


っうか、全然勉強が追いつかねェェ
こっちのリカバリーのほうが大変だよぅ(´Д`)ヾ

2011年1月15日土曜日

平成23年度本試験の施行が公告されました

どうやら昨日、本年度試験の日程や出題範囲等が特許庁HPで公告されていたようです。
一昨日に登録した特許庁からのメールサービスを受けて、今日、確認しました。

今年も、試験の内容や日程に大きな変化はないようです。
2月1日からインターネットで願書請求の受付が始まるので、忘れないようにしないと。
願書の受付期間は4月1日から10日までと、あいかわらず短いので注意。
「期限渡過は不適法により却下」ですから。

今年は短答はパスだから、試験自体は7月から。
つっても、やること多い( ノД`)ヾ
選択対策も地道にやっていかないと。


あ~、なんか焦ります。

2011年1月12日水曜日

箱根は雪でした

この連休に箱根の実家にクルマで行ったら、夜中に雪が積もりましたw(°O°)w
スタッドレスもチェーンも装備してない愛車は立ち往生。
チェーンを現地調達することも考えましたが、日中は天気がよく、夜までにだいぶ融けてしまったので無事にそのまま帰ることができました。
とはいえ、ところどころ凍結してたので下山はなかなかスリリングでした(^_^;)

2011年1月3日月曜日

2011年正月

明けましておめでとうございます。


一年の計は元旦にありといいますが、今年の元旦は寝坊から始まりました( ノД`)ヾ
奥さんの実家に10時半に行くと約束しておきながら、起きたのは9時。
我が家はお屠蘇を酌み交わす習わしがありまして、そういった儀式や、雑煮や御節を食べたりしてたら時間がなくなって、20分ほど遅れて義父母のところにおじゃましました。

午前中に東京在住の親戚宅を2件回る予定だったのに、寝坊と義父母のところで思いの外長時間の滞在をしてしまったおかげで、結局、回り終わったのは午後2時。


そのあとは、先月箱根に引っ越した自分の両親のところに向かいました。
夕方に到着して、前回行ったときに頼まれていたテレビとレコーダーの配線をやったり、すき焼き鍋をつついたり、年賀状作りの手伝いをしていたら、あっという間に元旦は終わってしまいました。


翌朝は、初夢を見ることなく迎えました。
写真は初日の出ではなく、実家のそばて撮影した正月2日の朝日です。


今年は受験2年目。
先月は仕事がメチャクチャ忙しくてここ1か月ぐらいまともに勉強してませんが、まわりに言いふらししてしまった手前、今年こそは最終合格を目標としてやっていきます。

マサムネ追悼

我が家の金魚・マサムネが先のクリスマスに他界しました。
正月早々、暗い話題で恐縮です( ノД`)ヾ


彼(だと思う)は魚相が悪い割に小心者で、水を交換するときの水流でパニクッたりしてました。
目が悪かったのか、あんまりエサに食いつかないのでエサやりもいままでの先代の金魚に比べて少なかったな。

夜は眠るのが早くて、自分が帰る頃には水槽の底に沈んで重そうな頭を砂利に預けていました。
そんな彼を見て、金魚にも個性があるものだと知りました。


飼いはじめは2匹だったのにすぐに片割れが死んでしまい、彼(だと思う)はそれ以来ずっと独り。仕事が忙しかったり、弁理士の勉強であまりかまってやれずに寂しい思いをさせてしまったのがいけなかったのかな、と反省してます。

最期の数日は浮き袋がやられたのか、底で横になってしまってあまり動かず、エサも摂ることができず、ついにはエラをピクピクしはじめて、気づいた時にはまったく反応が無くなってしまいました。

亡骸は死んだ翌日にベランダの、すでに枯れかけたニガウリの鉢に埋めてあげました。
先代や片割れが入っている外構の植木のところは土が固いし、あまりかまってやれなかった分、せめて自分たちの近くに眠らせてあげたかったのです。


たかが金魚とはいえ、僕らの生活を少し賑やかにしてくれたこの小さな生き物に感謝したいと思います。
マサムネ、ありがとう。